フラッペが通用口を使って舞踏場の入口へ先回りすると、間合いを見計らったかの様に、先程の二人は廊下に姿を現した。歩一歩と近付くにつれ面立ちが明瞭になって行く。
(矢張り、)
 その柔和な表情は、例の写真その儘である。仮令酷似している人間が居たとしても、指の先まで行き届いた典麗な所作が決して俄仕込みでないことは、容易に知れた。
 矢張り、見間違いなどではない。フラッペは確信する。今眼前に居る彼女が、隣国の王女その人なのだ。
 王女の傍らに添う人間のことはフラッペも知らない。だが、只者でないことは即座に見て取れた。その顔こそ正しく飄々乎という言葉そのもので、涼しく捌けた印象であるが、 歩き方を始めとした身の熟しは一切の無駄が削ぎ落とされ、その身体はかっちりとした礼服の上からでも明らかに引き締まっているのが分かる。何か、特別な訓練を受けている証 拠である。程近い隣国とはいえ他国にて、今こうして、たった一人で王家の人間を護っているのだ。相当の手練であるに違いない。現につい先程、屈強な門衛二人を伸したばかり である。自然、フラッペの肩に力が入った。
 二人は舞踏場の前で足を止め、事前に打ち合わせでもしたのかという程同時に、入口を睨め付けた。マドレーヌ姫の瞳がその儘、入口の真前に屹立しているフラッペへ注がれる。 姫の視線に気付いた従者がちらとフラッペへ目を遣り、音も無く一歩、前へ出た。
「姫がパーティーに参加したいって云うんだけど、出来るよね?」
 外見の印象からは想像し難い人懐こい笑みにフラッペは不意を食らう。何か答えなくては不可いと思うのだが、脳が上手く働かない。唯、頭の片隅に、いきなり明け透けに付加 疑問文で訊ねてくるとは何て非常識な振る舞いだろうという、漠然とした不満が蟠っていることだけが判然としていた。
 彼女等は間違いなくヘレネス王国の人間である。本来なら迷う事無く此処を通すことが出来る筈なのだ。しかし、城門での一件、兵器所持に無作法な態度――幾等待ちに待った 隣国の王女一行とはいえ、これは戴けない。
「仕事熱心なのは良い事だけどね。……けどさ、」
 従者は逡巡しているフラッペへ更に近付き、耳許へ顔を寄せる。
「全部、命あっての物種って云うでしょ?」
 小声ではあるが低く、妙に迫る力のある声がフラッペの聴覚を刺激した。
「っ!で、ですが、身元の分からない方をお通しする訳には……」
 フラッペは身を引きながら咄嗟に出任せで凌ぐ。それを聞いた従者は一つ軽い溜息を吐き、姫の元へと踵を返した。そして何やら小声で二言三言言葉を交わすと、今度はマドレ ーヌがフラッペの眼前に立った。
「昔の人は云いました。ばれなきゃよし!」
 ぐっと拳を握り、その麗しい姿とは凡そ不似合いの戯言同然を発するマドレーヌ姫。
「否、思い切り……バレバレです」
「そうね。ですからね、貴女が気付かなければ良いのじゃありません?」
「……き、気付いちゃいました」
「うん、問題は其処なのよねー……」
「忘れさせてあげよっか?」
 絶妙の間合いで従者が割り込む。再びマドレーヌの前に立った従者は、先刻同様にこにことフラッペを見る。笑みを湛える彼女の片手には、肩に掛けられていたロケットラン チャーが抱えられ、もう一方の手はそれを愛玩動物宜しく優しい手付きで撫でている。
 脳裏に蘇るのは先刻の門衛。このパーティーを取り仕切っている己が彼等と同じ目に遭う訳には行かない。
(それに……此方は、此方から突然一方的に送った招待状に応えて姫が来ただけでも良いと思わねばなるまい立場にある)
 呼び寄せたのは此方なのだ。非常識というなら、今更帰れと云う方が余程非常識だ。
「……分かりました、それでは、」
「ありがとっ!聞き分けの良い人で良かったわ。さ、行くわよー!! 」
 マドレーヌはフラッペの言葉を遮って愛嬌溢れる謝辞を一言述べるや否や、舞踏場の中へ勢い良く入り込んでしまった。そんな姫へ手を振り見送る従者を横目でちらと見遣り、 フラッペは思わず溜息を吐いた。その溜息を耳にし、今度は従者がフラッペを見る。視線が絡む。
「………………」
「………………」
「…………何か?」
「暇だから仕事に付き合ってあげるよ」
「は?」
 一先ずこれで彼女等から逃れられると思ったフラッペは自分を悔いた。早計であった。職務に戻るなどと云って即座にこの場から離れるべきだったのだ。
(どっか行ってくれ……!)
 後ろを付いて来る従者に向けてフラッペは内心叫んだが、当然と云うべきか背後の人物は一向に意に介する様子を見せない。相手は隣国の、恐らく軍人である。
(これでは監視されているも同然だ)
 尤も、相手にそんな気は一切無いのだろうが、後ろを付いて回られる以上、下手に動けないのは事実である。それに先程からフラッペは、彼女の笑顔がずっと気に掛かっていた。 自然に出ているものやも知れないが、姫の護衛という人間にあれだけ人懐こい笑みを向けられると、逆に勘繰ってしまう。
 何れにしろ、この儘では埒が明かない。フラッペは、何か吹っ切れた様な気持ちになり、入口付近の壁に背を預けながら云った。
「俺は総務大臣のフラッペ・ハロウィーンという者だ。……あんたは?」
 すると従者も、フラッペの隣で壁に凭れながら答える。
「へえ、あんた御偉方なんだね。私はアイス・イヌイット。隣のヘレネスで陸軍大佐と近衛連隊長遣ってるよ」
「あんたも十分御偉方じゃないか」
「あはは、まあね。それであの人が――ああ、」
 わざわざ紹介しなくても大臣様は御存じか、と従者元いアイスは前方を指差した儘、苦笑交じりに云った。
 彼女の指の先――マドレーヌ姫は、実に、光り輝いていた。
 擦れ違う全ての男性に視線を投げ掛け、目が合った場合は直ぐ様、首を二十度程傾けつつ果敢無げな微笑みを向ける。相手がその笑顔に見蕩れている隙に目敏く胸元の勲章や星 章を調べ、どの様な階級の人間か、自分の相手に足る人物かを即座に査定する。移動する際、食べ物を取る際は勿論、誰かと言葉を交わしている時でさえ、彼女は気取られぬ様双 眼を酷使していた。飲み物を持っている給仕にさえ同じ様な視線を送っている。マドレーヌ姫はひらりひらりとドレスの裾を舞わせながら、丸で蜜を求め彷徨う蝶の如く、人々の 間を縫って行く。
「お宅のお姫様って無節操だな……」
 極めて素直な感想が、無意識にフラッペの口から零れ落ちる。
「そんなことないって」
 アイスはといえば極めて平然としている。
(そんなことない……か?)
 あんたが見慣れているだけじゃあないのか、とフラッペは思う。
(だが……)
 再び会場へ目を遣る。
 実際姫の周囲に居る人間は、男性は愚か女性までもが、悉く彼女を目で追っている。決して、姫が何か周りを引き付ける様な話をした訳でも、況して何か妙な行動を取った訳 でもない。寧ろ彼女は何もしていない。敢えて云えば、只、微笑んでいただけである。それだけで、人々の心を捕らえてしまった。
(これがマド姫マド姫と向こうの民衆に騒がれている所以か……)
 彼女には何かしら、魅力があるのだろう。フラッペはそう結論付ける。矢張り彼女をアケメネスへ引き入れることは有益であるに違いない。
 しかし、である。
 フラッペは、又しても溜息を吐く。
「隣国ヘレネスのお姫様があんな子だったとは……」
「何?喧嘩売ってるの」
「違う違う」
 マドレーヌ姫は、写真その儘の、可憐な人であった。艶やかな肌も柔和な笑みも、何一つ偽りは無かった。
(だがしかし……しかし、大誤算だ)
 フラッペは自国の未来を第一に考え続けてきた。だからマドレーヌ姫という存在を知った時、何としても彼女をホワイティの妻にしようと決めたのだ。隣国と合併すれば領土 が拡大し諸国と台頭に渡り合える様になるなどという利点は、確かに嬉しいことではあるが、フラッペにしてみれば付録に過ぎなかった。何よりは王族が、民衆にとって一層尊 く愛すべき存在となる為の、マドレーヌ姫という客寄せパンダの獲得であった。
 云うまでも無くこの計画を現実にする為には、マドレーヌ本人がその客寄せパンダ役に甘んじる事が絶対である。フラッペはその、マドレーヌの人格を無視していたのだ。
 尤も、マドレーヌを扱き使う積もりは毛頭無かった。というより、フラッペとて人権を無視していた訳ではない。唯、フラッペの中でマドレーヌという人は、『深窓の佳人を 地で行く様な、従順そのもののお姫様』であったのだ。そういう人格であるだろうという、簡単に云えば思い込みである。
 単なる思い込みであることが盲点だった訳でもない。それなりに対策案は練っていた。が、マドレーヌと初めて対面してから現在までのこの短時間で、フラッペは既に計画の 危機を多分に感じていた。
(あのお姫様が相手だと、押し切られて嫁に迎えるどころか奴を婿に出すことになるやも知れん……)
 そうなれば大変である。アケメネス王国が消滅してしまう可能性が出てきてしまう。
 計画は断念しよう。フラッペは決する。
 幸いな事に、今はホワイティが行方知れずだ。この儘出て来なければ空気の読める奴として褒めてやっても構わないと、フラッペは都合良く何時に無い仏心を垣間見せた。その 時である。
「おっ、うちの姫があんたの自慢の王子に気付いたみたい」
 アイスの声にフラッペは思わず目を瞠る。アイスの視線を辿って行くと、何時の間にかホワイティが上座の円卓にちょこんと腰を下ろしていた。円卓を挟んで、マドレーヌがホ ワイティを凝視している。
(何であんな所に……何時の間に?! あいつは本当に空気の読めん……莫迦じゃね?ていうか莫迦だよな絶対!莫迦!)
 これは見物だとにやつきながら呟くアイスの横で、フラッペは内心ホワイティを罵り倒していた。
(あいつは普段から莫迦だが今日は一段と莫迦だ!黙って出された服を着て座っていれば良いものを、珍妙な衣装は作ってくるわ突然姿を晦ますわ、俺がどれだけ苦労してると思 って…………そうだ、)
 弾かれた様に顔を上げた。舞踏場の、ほぼ対角線上に居るホワイティを見据える。彼は既にマドレーヌの視線に気付いている様である。見詰められることに慣れていないのか、 何やら落ち着かない様子で、視線を泳がせたり顔を下に向けたりを繰り返している。
(あいつ、矢張りあの衣装の儘だ……!)
 フラッペは無意識に拳を握る。ホワイティの衣装は、誰が如何見ても変なのだ。それはこの場内に居る客人達の彼を見る目からしても明らかである。然程服飾に明るくないフラ ッペでさえ一目で妙ちきりんだと感じたのだ。
 きっと、あのお姫様なら尚更、そう思うに違いない。フラッペは確信した。今ああしてマドレーヌが凝とホワイティを見ているのも、余りに彼の恰好が怪訝しいので目が離せな いだけだろう。この儘、マドレーヌが若干軽蔑の眼差しを奴に向けながら去ってくれればと、フラッペは切に祈った。





 ストロベリークリームの如き淡い桃色のドレスの裾が、ちらと視界に入った。
 反射的に顔を上げる。
 沢山のフリルとリボンが配われたドレスから伸びる腕は、細く、嫋やか。
 さらりと揺れるミルクティー色の髪は、サテンの様に、艶やか。
 僅かに頬を染めたその顔は色素の薄い肌に対比して、只々、美しかった。
 目が離せないと感じる事が真実あるのだと、ホワイティは初めて知った。時間が止まったかの如き心地を覚える。が、彼女の前を給仕が通過した際、ふと我に返り、咄嗟に目を 逸らした。幸い、眼前の彼女は彼の視線に気付いていない様である。
(どうか私の存在に気付かない内に、早く何処かへ行ってくれ……!)
 ホワイティは願った。自分は今、何とも妙な恰好をしている。何故だか分からないが、この様な醜態は、眼前の彼女に見られたくなかった。こんな事ならきちんとした正装をす べきだったと、じわじわと後悔が彼の胸に押し寄せる。だが、このパーティーを失敗に終わらせる事が真の目的なのだから仕様無い。
 彼は息を殺し、只々彼女が目の前から去るのを待った。しかし、何時まで経っても視界の隅からドレスのフリルは消えないのである。何故なのだ。一向に動きが無いことに痺れ を切らしたホワイティは、何気無く辺りを見回す振りをして、眼前の女性の様子を探った。
 視界の端に映り込む彼女は、ホワイティを凝視していた。当人の彼ですら分かる程、あからさまである。ホワイティは著しく動揺した。
(な……、何が目的なんだ……?矢張り、この恰好が変だから見ているだけなのか……?それとも、何か、訊きたいことでもあるのだろうか……)
 此処はアケメネス王国要人達の指定席である。それで、何か尋ねたい事柄があるのかも知れない、否、きっとそうだ違いない。ホワイティは心の中でそう断定し、思い切って顔 を上げた。依然彼女はホワイティを見詰めており、視線は直ぐに合う。
「まいどっ!」
 自分でも変な挨拶であることは承知している。だが、今の服装では、とても平素の自分を出せない。だからせめて、彼女の前で私は、単なる愉快な人物であることにしよう―― ホワイティは凡そこの様な事を胸に、彼女へ声を掛けた。
「あ、あの!」
 初めてホワイティの鼓膜を震わせる彼女の声は、高く澄んでいる。
「何か御用ですか」
「好きです!! 付き合って下さい!! 」
 脳髄が言葉の意味を認識した瞬間、彼の意識は白く溶けた。
 しんと静まり返った周囲の空気が耳を劈く様である。頭がぼんやりする。
「いいですよ」
 無意識に、口が動いた。辺りから聞こえる拍手の渦が、遠くで鳴っている。
(一体、何が起こったのだ……?)
 ホワイティは信じられなかった。平素フラッペから散々罵倒されているこんな自分が、自分でも情けないと思うこんな自分が、果てしなく奇怪な恰好をしているこんな自分が、 これ程に魅力的な女性から愛の告白を受けるなど。
(何かの思い違いじゃないのだろうか……、本当にこんな私で、良いのだろうか)
 ちらと彼女――隣国のマドレーヌ姫へ目を遣る。本当に幸せそうな、柔らかい笑顔が其処に在る。
 ふと、数週間前、フラッペから初めてパーティーの詳細を聞いた時に想像した凄腕の悪女が、ホワイティの頭の端に蘇る。目の前のお姫様とは、似ても似つかない。
(あれは単なる妄想だ)
 そう脳内で一蹴して、ホワイティは優しく、マドレーヌの手を取った。





「え、ちょ、今の何!? ええぇ!? 」
 フラッペが、此処が舞踏場であるということも、己の立場も、一切を忘れて叫んだ。彼女が望み、そして懼れた事が瞬時に現実のものとなった。
「まあいいじゃん、二人をくっ付けるのが目的だったんだからさ」
 アイスが事も無げに云う。その言葉を受け、フラッペは又しても目を瞠る。
「なっ……!何故それを……?」
 この計画はフラッペ一人が目論んだ事。城内の人間とて、彼女以外に知る者は居ない筈である。
「そーんなの、ちょっと考えれば分かるよ。ヘレネスとアケメネスが一つの国になれば良い事尽くめだし、それに、そっちの王子とうちの姫だと年齢的に見ても相応だから政略 だと思われる心配も無いしね。まあ、こっちでも気付いているのは私くらいなもんだったけど」
 今や平静をすっかり失っているフラッペを余所に、アイスは笑顔を湛えながら流暢に言葉を紡ぐ。
(おのれヘレネスめ……侮れんな)
 完全に自分の認識が甘かったことを悟ったフラッペは、その場で足を折り床に手を付いて、項垂れた。
「有り得ねぇ……」
 何もかも。全てが夢幻であれば良いと、これ程思ったことはない。全てが、フラッペにとって裏目に出てしまっていた。
(これから如何すればいいのか……)
 そんな悔恨の情を読んだかの如く、アイスがフラッペの肩を優しく叩いた。
 そして。
「お互いこれから大変だね☆」
 いやに溌剌とした口調が、フラッペの胸を残酷に突き刺した。