シャンデリアが放つ、煌めく光の波。卓上から零れ落ちそうな程に盛られる様々な料理。空気を柔く裂く様な、無数の衣擦れの音。 平素固く閉ざされている舞踏場の扉が、本日は大きく、左右に開けられている。場内では、見慣れぬ正装姿の要人達が、各々若干ぎこちない身の熟しで辺りを忙しなく歩き 回っている。彼等と対照的に、普段と変わらない制服を身に着けたメイド達は実に軽やかな足取りで、人の間を縫う様に無駄の無い動きで、的確に仕事を処理して行く。 フラッペも例に漏れず、しっかりと正装をして、舞踏場へ姿を見せた。 「フラッペ様、お早う御座います」 「ああ、朝早くからご苦労」 側を通り掛かったメイドと挨拶を交わす。その儘行き過ぎようとしたメイドだったが、彼女は突如、足を中途半端に踏み出した状態で立ち止まり、フラッペの顔を凝視した。 「……あの、具合が悪う御座いませんか?」 「え?いや……別に何処も、何時もと変わりはないが」 「嘘でしょう?目の下、凄い隈ですよ」 それはフラッペ本人も当然存知していた。何せ急遽決まったパーティーである。たった二週間の準備期間では、到底時間は足りない。実際、この二週間は正に瞬く間という表 現が相応しい程であった。仕事中、少しでも時間が空けば作業現場に赴き、それぞれの担当者と話を詰めるなり雑用の手伝いをするなりしていたが、其処に時間を費やせば、当 然平時より増えている己の仕事が一向に片付かない。仕方なく、城が寝静まった静謐の時間、彼女は一人机に向かうことにしていた。その様なことが約二週間続いているのだ。 疲労の見えない方が妙であろう。 「しかしこれも今日までだ、今日を乗り切れば少し休む」 「はあ……でも余り無理はなさらないで下さいませ」 「うむ、分かっている。……それより、王子を知らないか?」 フラッペは、ホワイティを捜していた。パーティー開会の定刻が迫っているというのに、今日は未だ王子の姿を確認出来ない。既に半数程の招待客は到着しており、それぞれ料 理や雑談に興じている。それなのに肝心のホストが不在では恰好が付かない。恰好が付かぬどころか、王子の花嫁探しという名目になっている以上、主役が居なければ話にならない。 「いいえ、今日は未だお会いしておりませんが……」 この二週間、多忙を極めていたこともありフラッペは王子と、殆ど言葉を交わしていない。初めてパーティーの件を告げに部屋へ赴いた時、彼は乗り気ではなかった。しかしこれ も一種の公務なのだから参加して然りである。フラッペはそう思っているが、王子も彼女と同意見だという保証はない。高が一度のパーティーで自身の正室を決めなければならない ことに抵抗があるのは、フラッペも理解出来る。 (だがこれも、奴が不甲斐無い所為なのだから仕方ないではないか) 何人もの人間を欺いてまで催しを開き、更に奴には到底勿体無い程の花嫁を用意して遣っているだから少しは協力しやがれと内心毒突くが、何も知らされていないあの王子に、其 処まで酌み取っての行動を求めるのは、少々酷であろう。 (……仕方ない、面倒だが一度奴の部屋に行くか) メイドに軽く礼を云い、踵を返したその時であった。 「おおおおい、フラッペー!!!! 」 そう遠い距離ではない。なのに、フラッペを呼ぶ声は必要以上の音量で以て、空気を振動させた。舞踏場に、声が響き渡る。歓談していた大臣は会話を止め、料理を食していた客 は手を止める。一瞬にして会場は静まり返り、全ての視線は声の方へ向けられた。唯一フラッペだけが、其方へ顔を向けるまでもなく、声の主が何者であるか察知していた。 「……るっせー!!!! 今日はお前の未来が懸かった大事な催しだと云っただろう!? もっと気を張って貰わなければ、こま……る……」 振り向き様、フラッペも声の主、元い、ホワイティに劣らず声を張り上げて叱責する。だが、彼女の視界に王子の姿が入った刹那、激しく刺々しい声色が、急速に萎んで、消えた。 平素強固で確然たる瞳を持つフラッペのそれが、今は困惑を隠し切れず、ちらちらと彼方此方に揺れている。 「……ん?一体如何したんだいフラッペ。真逆君、私の男振りの良さにハートを射抜かれてしまったんじゃあなかろうね?」 ホワイティは突如黙り込み目を伏せてしまったフラッペを見て、歌劇で見る様な、胸部中央に右手を当てるポーズを取りつつ、そう云った。何時もなら此処で、ホワイティがその 姿勢を維持する間も無くフラッペの突っ込みという名の暴力が入る筈なのだが、今の彼女の目に王子の姿は映っていない。見ないのではない、視神経か何かが反射運動を起こし、見 ることが敵わないのだ。全身を以て、拒否していた。 無理もなかった。 フラッペの眼前に屹立する、精神的には如何か分からぬが身体的には確実に成熟している男は、王子様であった。絵に描いた様な王子様であった。 襟刳りに幾重も施されたフリルと、ふんわりしたパフスリーブが目を惹く上衣。裾や袖口には金繻子が縫い付けられ、一層に華やかさを演出している。下に穿いた、膝上丈で裾を 絞っている形の所謂かぼちゃパンツからは、穿いても穿かずとも然して変わりないだろう白色のタイツを纏わせた脚が、すらりと伸びている。袖部分とかぼちゃパンツにインディゴ ホワイトのリボンで以て揃いのストライプ模様が入れてある等、素材に拘っている様子が見て取れる。色々指摘がある様に思うが、百歩譲って此処までは良しとしよう。 問題は胴部にあった。上衣の丈が、明らかに短過ぎるのである。しかし裾部分には確かに金繻子の装飾が施されている為、意図的に短く裁断されていることは明らかである。なら ば採寸時の目盛り読み間違いかといえば、如何もそうではないらしい。何故と云って、その衣装を身に纏いし人物――ホワイティ王子が、嬉々として、臍を見せているからである。 見せ付けていると云っても過言ではない。尤も、王子は腹が出ておらず寧ろ貧弱と云って差し支えない体型である為、そういう意味で見苦しいという印象は受けない。 だが、しかしだ。彼は歴とした成人男性、しかも次期国王の座を担う、非常に貴い身分に在る人物である。その様な人間が、臍出しかぼちゃパンツという、二次元空間に存在する 女性のみが着用を許された姿で颯爽と現れたのだ。 この俄には信じ難い現実を目の当たりにした会場内の人間は皆、初めは呆然として言葉を発すること敵わなかったが、次第にざわざわと声が四方から聞こえ始めた。言葉の内容は 何れも判然しないが、恐らくというか確実に、有り得ない王子の衣装についての言及延いては非難の声であろう。 フラッペも、最初は他の人間と同様、只呆然と立ち尽くし眼前の現実を見据えることすら出来ずにいた。が、知覚が現実へ追い付くにつれ、最早阿呆王子としか云いようの無い男 に対する怒りが沸々と沸き起こり始めた。 それに全く気付く様子の無いホワイティは、周囲の反応すら一向に顧みない儘、更に言葉を続ける。 「やだな君、本当に私のことを……?困ったね、そうしたら、このパーティーは何の意味も無くなってしまうじゃあないか。……でも、まあ構わないさ。王子と大臣なんてちょっと 茨の恋な気もするけれど、こういうのも運命的で素敵だと思うよ。さあ、じゃあこんな無意味なパーティー今直ぐお開きにして、私と今から、」 不意にホワイティの声が途切れた。彼の喉元には、レイピアの鋭い切っ先が突き立ち、白い肌がその箇所だけ僅かに赤く染まっている。 「私と今から、何なのだ?その続きを云ってみろ」 レイピアを持つフラッペの腕に力が籠る。肌は更に赤くなり、今にもホワイティの無駄に弾力のある皮膚に小さな穴が開きそうな勢いだ。鈍い痛みと射抜く様なフラッペの眼に恐 れ戦き、王子は一言も声を発することが出来ずにいた。呼吸さえ慎重に行う始末である。 「下らんことを云った際は承知しない。仮令王族であろうと何だろうと、貴様を侮辱罪で訴えてやる!! 」 フラッペの不穏な発言に、近くに居た大臣が見兼ねて口を挟む。 「ま、まあまあフラッペ殿、落ち着いて。これでも一応次期国王ですから……取り敢えずレイピアをお納め下さい」 これでも一応――。 咄嗟に出た大臣の言葉で、城内に於ける王子の立場が見て取れる。隣のマドレーヌ姫とは雲泥の差である。とても同じ、王族という特権階級に居る人間とは思えない。 フラッペは、レイピアを渋々手元へ引き戻す。 (アホワイティめ……この大臣が居なければ、今頃疾うに八つ裂きだ) 何と悪運の強い奴だ許せん、と内心息巻くまでは良かった。しかし次第に、何故己がこれ程までに今、王子に対して憤っているのか――それが判然しなくなってきたのだ。兎にも 角にも腹立たしいのだからそれで良いのだ!という思いも少なからず在ったのだが、そもそもの理由が薄弱なのでは、如何も釈然としない。フラッペはその盲点とも蛇足とも云うべ き箇所に固執し、記憶を遡る。脳髄の中を引繰り返す様に巡らす。それに釣られて周囲をぐるりと見回すと、彼女の双眼が、臍出しかぼちゃパンツを確認した。途端、思考が停止さ れる。脳髄と視神経が繋がった。 「……その恰好は何なのだ?」 「私の今日の衣装だよ」 つい先刻までレイピアの先が触れていた箇所に緩く指を当てながら、ホワイティは平然と返答する。 「巫山戯るのも大概にしろ。もう開会まで時間が無いのだ、早く着替えてこい」 「だーかーらー、本当に今日の私の服はこれなんだってば」 「成る程、遂に残念な頭となってしまったらしいな。……おい、衣装係を呼べ」 フラッペは苛立つ気持ちを抑えつつ、先程の大臣にそう指示した。 (全く、こいつは何を考えているのだ……) 走り行く大臣の背中を何気無く見つつ、フラッペは大きな溜息を吐いた。 既に客は集まりつつあるが、幸い今はまだ開会前である。正式な挨拶の場に王子をこの姿で立たせることが阻止出来ただけでも御の字だ。 (……それに、……まだ到着はしていない様だな) フラッペは会場内を軽く見渡し、僅かに安堵する。 彼女はこのパーティーに於いて、王子ではなく、隣国の王女とその従者に意識を置いていた。恐らくアケメネス王国史に残るであろう、唯一の他国からの客人。他の客は全て、 自国内に居住している貴族である。彼等には適当な文面に適当な便箋で招待状を作成したが、隣国への招待状は、彼女の持つ礼儀の全てを凝縮したといっても過言ではない程慎重 且つ典麗な文章を、金糸を織り込ませた優美な便箋に認め、揃いの封筒に収めたものであった。フラッペはこのパーティーにアケメネスの未来を見ているのだ。その為には先ず、 このパーティーに因ってホワイティとマドレーヌが互いに、僅かなりとも良い印象を持ち合わねばならぬ。それなのに、当事者たる王子がああでは、好印象どころか二度と御目に 掛かりたくない変質者という印象で終わってしまう。 フラッペは、自身の気苦労など露とも知らずに未だ臍を出しながら屹立しているホワイティへ、ちらと目を遣る。極めて自然に、舌打ちが出た。 其処へ、先刻の大臣が一人の女性使用人を引き連れて戻ってきた。 「お待たせしました、彼女が衣装係の長で、デザイナーです」 大臣の紹介に合わせて、女が深く辞儀をした。 成る程、女性使用人と一言で云っても、メイドとは別の職務を熟しているらしい。見ればメイド達が着ている白い制服ではなく、紅茶に布を浸した様な色のロングドレスにエプ ロンドレスを着用している。 「突然呼び立ててしまって済まない。申し訳ないのだが、この莫迦を連れて行って適当な服に替えてくれ。幾等何でもこの服は戴けな…………ん?否、というか、」 フラッペの脳内に一つの疑問が浮かび上がる。 「今日の王子の衣装、一体誰がデザインした?」 今フラッペの眼前に居る女性は、大臣の話に依ればデザイナーであるという。しかし、この如何にも実直そうな彼女が、この様な巫山戯た服を考案するとは、到底思えない。 「あの、フラッペ様……大変、申し上げ難いのですが、王子の今お召しになっている衣装は、本当に本日の衣装で御座いまして、その、この日の為に、……ホワイティ様自らが、 デザインなさったので御座います。ですので、その、我々も何とも……」 デザイナーは慎重に言葉を選びつつ、小さく声を発した。 詰まり、有り得ない意匠であることは重々承知していたが、デザイン考案が王子であるが故に、制作を断ることも修正することも敵わなかったということらしい。それを聞き、 フラッペの口からは又もや溜息が漏れた。思わずホワイティへ目を向ける。 「お前……しかし、これは……」 「何だいフラッペ、今日の為に一生懸命頑張って考えたのだよ」 そう云ってホワイティは再び歌劇的なポーズを取る。以前よりフラッペは、決して表に出すことはしないが、ホワイティのセンスに内心一目置いている所があった。室の装飾は 中々に優れていると常々思っていたし、室内着も、単なる白の上下揃えではあったが、彼でなければ着熟せないだろうと思わせるものを感じていた。 それなのに、今回のこれである。フラッペからしてみれば、王子がこの衣装をデザインしたという事実は信じ難い。だが、デザイナーと王子双方の意見が一致している以上、如 何もそうであるらしい。 (こいつは、張り切ると空回りするタイプだったのか……) 平素のホワイティであれば、もっと真面な意匠が可能である様に思う。だが、今はもう如何にもならない。 フラッペはデザイナーを近くに呼び付け、顔を寄せる。 「何でも構わないから、アレより様になる衣装を着せてくれ」 小声でそう告げたのは、ホワイティへのせめてもの配慮である。乗り気でなかった彼が、珍妙極まりないとはいえ、自ら衣装をデザインする気にまでなっていたのだ。彼女なり の優しさ、という所であろうか。とは申せ、王子としての自尊心など、フラッペからすると如何でも構わないのだが。 「しかし……、初めてホワイティ様にあの衣装の案を頂いた時、私共も色々遠まわしにではありますが、意見をお出しして何とか修正しようと試みたのです。しかしホワイティ様 は、それはもう頑なでして……手に負えなかったというのが実情です。……ホワイティ様と対等に言葉を交わせるのは、フラッペ様しか居りません。お忙しいことは承知しており ますが、どうか、一緒に衣裳部屋へ来て頂けませんか?」 「ううむ……、それもそうだな……」 時間も無い。衣装係に一任するよりは、恐らく一番王子の扱いに手馴れている己が出張るが得策かと、フラッペは自らを納得させる。 「フラッペ殿、お待ち下さい」 そうと決まれば早速、と足を一歩踏み出した時、背後から呼び止められた。 「何処へ行かれるのですか?そろそろ最終の打ち合わせをしたいのですが……」 先程とは別の大臣がフラッペを呼びに来たのであった。ホワイティも要職であればフラッペも又、要職である。本当の所、王族の人間などよりフラッペ等役人の方が何倍も疲弊 する上、何倍も多忙なのだ。況してフラッペは、全ての大臣を束ねる地位に居る――彼女が居なければ、アケメネスは国家として成り立っているかどうか、分からない。 フラッペの口から、誰にでもなく、軽く舌打ちが出た。 「ああ今行く、先に始めておけ。……済まないが、先に衣裳部屋へ奴を連れて向かってくれ。俺も直ぐに行く」 大臣とデザイナーにそれぞれ指示を出し、最後にホワイティへ、振り向き様に言葉を向ける。 「おい、そういうことだから、取り敢えずお前は…………ん?」 完全に背後へ見向いた時、其処に王子の姿は無かった。 フラッペの目が大きく見開かれる。一瞬間、黒い糸が縺れ合う様な錯乱に見舞われたが、直ぐに逃げられたという現実に至った。 「……あいつ何処へ行った?! お前等、奴が如何動いていたか、それだけ近くに居ながら全く見なかったのか?! 」 「す、すみません……っ」 「莫迦者!」 そう云い捨て、フラッペは駆け出す。 「あっ、フラッペ殿、打ち合わせは……?! 」 「そんなもん適当に遣っとけ!! 」 打ち合わせも何も、王子が居なければ何にもならないのだ。パーティーはおじゃんになり、延いては王子の結婚も国の未来も、フラッペの構想は全て白紙になってしまう。 (どいつもこいつも莫迦者だ。だが何よりもあのアホワイティ……許さん) 一直線に舞踏場の入口まで疾走してきたフラッペであるが、左右に続く廊下を見渡し、僅かに辟易した。普段静やかな廊下にはドレスの花が入り乱れ無数の声が飛び交い、香 水と化粧品の混じり合った、粒子が含まれている様な重い臭いが辺りに舞っている。微妙に顔を引き攣らせながらも、フラッペはホワイティを探す。幾等混雑しているとはいえ、 あの衣装だ。目に留まらぬ筈はない。そうは思うものの、廊下の奥まで見渡しても、一向に王子の姿は捉えられない。 「くそ!あの阿呆め何処に行った?! 」 そう独りごち、フラッペは再び走り出した。 |