会議場を出るや否や、フラッペはその足で階上へと向かって行く。城の正面玄関を開けば一番に視界へ入る大階段を只管上り続け、それが途切れると今度は直ぐ側 にある螺旋階段を使って更に上を目指す。程無くして階段が途切れ、若干の通路が現れる。その突き当たり――何やら豪勢な造りの、観音開き。扉に施された純金の 装飾が小窓から差し込む陽光に照らされ輝いている。その反射光に、目を細めたのか顔を顰めたのか判じ難い表情を浮かべつつ、フラッペは獅子を模ったドアノック へ手を伸ばし思い切り力を込めて叩いた。城内でガトリング砲を発射したかの如き轟音が辺りに反響するが、音を発生させた当の本人はそれに因り自身の髪の毛や衣 服が微動しても辺りの壁が軋んでも、全く意に介さない。無表情である。
 反響音が返す波の様に引き始めると、今度は扉の向こうから物音がした。此方へ近付いてくる足音と共に何かもごもごと聞き取れない程度の、声というより最早音 が僅かに聞こえ、そして扉の錠が外された。金属質の音が小さく発生する。
「……何だ、矢張り君か」
 恐る恐る扉から顔を出す、色白の男。掛けた眼鏡の影がその白さ故鮮明に肌を伝っている。
「矢張りも何も此処を訪れるのは俺位しか居らんだろう。俺だって仕方なく此処まで来てやっている」
「そ、そんなことをはっきりと述べなくても……」
「何でも構わん、さっさと中へ入れろ!」
 フラッペは容赦なく男の向こう脛に蹴りを入れた。
「痛……っ!……ちょ、ちょっと君ね、毎度思うんだけども、私を誰だと思ってるんだい?」
「不健康気で貧相なダメガネ」
「ちょっ!幾等何でもそれは酷くない?! 私、公人だよ?王子だよ?」
 王子。
 そうなのだ。この、見るからに頼りなく甲斐性の無さそうな男こそ、アケメネス王国第十三世王子ホワイト・T・アカイメネス。城内を始め国民からも「ホワイト・T」 を省略して「ホワイティ」という愛称で呼ばれている。
 このホワイティは、詰まる所、次期国王である。なので甲斐性に関しては、無いこともないのかも知れない。
「一体何の用なんだい?此処まで、態々私に暴言を吐きに来た訳じゃないんだろう?」
 王子はフラッペを部屋の中へ招き入れつつ尋ねた。如何やら此処は王子の自室であるらしい。絢爛なシャンデリアと床一面に敷かれた紅の天鵝絨が果てし無い程白 い壁を引き立てている。中々にセンスの良い装飾であるとフラッペはいつも思うのだが、素直に褒めるのは非常に癪なので王子の美的感覚には一切の意見を述べない ことにしている。
 確かに用事があってフラッペは此処まで来た。しかしこの部屋の装飾に加え、王子の無意味なまでの色の白さと天然に出て来る紳士的な所作が彼女を苛立たせた。
「つい先程会議があったのだ……議題は、お前のこれからについて」
「私の?ていうか、王子に対してお前って君……」
「お前、自分の立場を本当によく理解しているのか?自身と、それから、国のこれからについて、きちんと考えているか?」
 フラッペはホワイティの突っ込みを完全に無視した。ホワイティは項垂れた。項垂れながら、フラッペの発した言葉を反芻した。己の立場。王子という身分から何れ は、確実に、国王――一国の主という称号を与えられる運命にある己。その己が背負う、国というもの。
「まあ、何れ父さんの地位に就くことになるっていうのは、勿論分かっているけど……」
「けど?」
「んー……やっぱり分からん」
「……何?」
「いや、だから分からんって。だって私が即位するのは、明日かも知れないし二十年先かも知れないんだよ?その時この国がどういう情勢にあるかすら分からない。 そんな、予定も何も立てられない様な将来について今から考えておけと云われても、それは無理な相談だよ」
 徐々に諭す様な口調へと変化して行くホワイティの言葉に妙な苛立ちを覚えたフラッペは、無言の儘王子の向こう脛の、先程と寸分違わぬ箇所へ再度蹴りを入れた。 しかし、呻き蹲る王子を見下ろしながらも彼女は内心王子の見解に感心していた。確かに王子が一国の主として即位するその時、国がどの様な状態であるのかなど分 かる筈はない。だがこの様に閉鎖的な、しかも小国が、何時までも平穏を謳歌出来る方が如何かしていると考えるが妥当であろう。悪くするとホワイティが国王は愚 か貴人ですら居られなくなる日が来るかも知れない。かと思えばそれらは全て単にフラッペに杞憂に過ぎず、今日の様に平和な時が延々と続き、その中で呆気なく戴 冠式が執り行われるかも知れない。
 今までだってずっとこうしてアケメネスは紡がれてきたのだ。余り危惧の念を抱き過ぎるのも考え物かと、フラッペは自嘲した。が、それを素直に口にした後に見ら れるであろう優越感丸出しなホワイティを想像するだけで虫唾が走るので彼女はきっと口を結び直し、そして考えを改める。確かに杞憂かも知れないが、それでも何か しらの布石を打って置くに越した事はない。ないのだ!
「王子」
 侮蔑的な態度はその儘にフラッペはホワイティへ話し掛ける。
「……え、何だい急に王子だなんて。やっぱり君も私の体中から溢れに溢れ出る高貴な」
「聞け」
 珍しく称号で呼ばれた為嬉々として立ち上がったホワイティに、今度は皮膚の薄い足の甲への一撃。彼は激痛に呻くことも忘れ瞬時に無言となった。この辺りフラッ ペは非常に手馴れている。
「……いいか?お前は何れアケメネスの主となる人間なのだ。お前は、この国を変えていかなくてはならん。この様な小国が、何処とも国交を断絶した儘、何者の侵略 も受けずに世界の終末まで身一つで遣って行けると思うか?」
「それは……」
 珍しく、非常に珍しく、王子は王子らしい顔をした。
「……何も今直ぐ何か大きい事をしろと云っている訳ではない。今は未だ王子の身なのだ、将来しなければならん事を忘れなければ良い。この国をより強固なものにし て、出来るだけ子孫を儲けて王族の血を絶やさぬ様にだな、…………ん?何だ?」
 ちらとフラッペが王子へ目を遣れば、何やらどぎまぎしている。
「いや、だって君、その……し、子孫だなんて……」
 そして次第に赤面して行く白雪の如き頬。
「恥らうな!!」
 フラッペは一際声を張り上げ、ほぼ反射的に常時携持しているレイピアを振り翳すや否や、王子の胴目掛けて突き出した。
「ぎゃあああああ!!!レイピアは止めて!すんませんでしたホント止めて痛い痛い痛い!! 」
 「王子」からは程遠く下品に叫喚するアケメネス王国王子。
「全くこっちは真面目に話しているというのにお前という奴は……国王になぞ本当になれるのか、お前が」
 フラッペは一人ごちながら渋々という風にレイピアを引き戻す。
「お前は一体何を考えているのだ、というか俺の話をちゃんと聞いていたのか?莫迦なのか?莫迦なのだな?そうに決まっている」
「な、何を云うんだ、君は本当に酷いな」
 ホワイティは息も絶え絶えそう云いフラッペに向き直る。
「君が急に変なことを云うからじゃないか」
「云っていない」
「だから……だから!だから、その…………私にはまだ、そ、そういう人は居ないのだ、し、」
 次第に声量を落として行く。語尾が判然としなくなると同時に又しても王子の頬に朱が差した。良く云えば純粋、なのだが、王子の実年齢を考えると、これは非常 に戴けない。
「そんな事は知っている」
 王子の言葉を受けてフラッペは平然と云いのけた。
「だからそんなダメガネの為にこうやって膳立てをしてやろうというのじゃないか」
「……へ?膳立て……って一体何の」
「ふん!若し王族などでなければお前なぞ確実に生涯独り身に違いないのだからな!有り難く思え」
「……何だって君はいつも私をそう下に見るんだ」
 ホワイティの不満は無残にも一刀両断の無視に終わり、彼の声など初めから存在しないかの様な顔をした鋼鉄の総務大臣は、何とも彼女に似つかわしくない平和を祈 る形を手で作り王子の眼前へ突き出した。
「……え?何?ピースサイン?」
「これはお前に対する『くたばれ』という意思表示である」
「あの、フラッペ?……それは、流石に、王室に対する侮じょ」
「冗談だ」
「………………冗談と思えないんだけど」
「黙れ。これは『二週間後』という意味である」
「二週間後?」
 未だに懐疑心を拭えない様子のホワイティであるが、フラッペの表情は崩れない。最も、彼女は平素より何に於いてもぶれない人であるのだが。
「二週間後、この城にてパーティーを執り行う。立食形式である。パーティーなどと云っているが実質は、品評会の様なものだ――共にアケメネスの未来を切り開いて 行く、お前のオキサキサマのな」
「っ、んな……っ!」
 眼鏡の奥に在る瞳が大きく見開かれる。そして三度、王子は頬を染めた。
「ちょ……!ちょちょちょ、ちょっとフラッペ、君は一体何を考えて、というか言葉を選び給えよ、品評会だなんてそんな、女性を物みたいに……」
「では何と云えばいい?実際客の中から一人選ぼうというのだから、言葉を変えた所で何も変わらんではないか」
「う……しかしだな、そんなパーティーで初めて会う人と結婚しなければ不可いなんて、考えられないよ。結婚というのはもっとこう、徐々に愛を高めあってだね、」
 それよりも先ず出逢い方というのは運命的でないと不可いなどと、次第に己の妄想の中へ入り込んで行こうとするホワイティに、フラッペは一切の遠慮なく顔を顰めた。
「五月蝿いな。お前の様なのがそんな悠長に恋愛などしてみろ、結婚へ辿り着くまでに相手のお前に対する気持ちが死滅する。絶対滅却する。大体、年中城に引き篭もり がちのお前が運命的な出逢いなど出来るものか!」
「まあ……否定はされるだろうと思ったけどね」
「兎に角パーティーは開かれる。これは先程、態々会議場を使用してまで行った話し合いで決まった事なのだ」
 そう云いながらフラッペはふと窓の外へ目を遣った。眼下に広がる、中庭と呼ぶには余りに広過ぎる庭園。彼女等は今、城の最上部と云える位置に居るのだが、此処か らでさえ今にも草の香りが漂ってきそうな程に地を覆う芝生の絨毯は、一点の汚れも無く美しい鶯色をしている。庭園の中央に設えた泉水は物静かに水を湛え、その奥に は様々な花の咲き乱れる散歩道が続く。
 絵画の如き情景の中、数名の人影が写り込んだ。純白の制服を身に纏ったメイド達が、丸でグリーンティーにミルクを数滴零したかの様に、芝生の中を駆けて行く。何 せ王族要人等の、所謂我儘で急遽決定したパーティーだ。きっと一番の功労者は裏方に徹している彼女等である。
「今更中止にはならんぞ。お前の為の催しなのだから、当然、必ず出てもらわねばならん」
「そんな……、余りに話が急過ぎるよ」
「まあそう心配するな。一応主立った所には招待状を送る。しかし急遽の開催決定に因り客集めをしているとの名目で大々的に宣伝もする積りであるから、何処の如何い う身分の人間が来るのかなど分からんのだ。詰まり懸念や憂慮など何の意味も持たん。まあ身分といっても貴族以上の者であることは確実なのだ、妙な奴だけは入れぬ様 門衛に云い付けて置くから安心しろ」
「……私は別にそういう心配をしている訳じゃなくて、」
「相変わらずうじうじと腹の立つ男だな」
「うわあ凄い本音だね」
「そんな杞憂をする位なら、精々普段からは想像も付かぬ程に見栄えのする衣装でも考えておくが良い」
 俺の用件は以上だ、では。続けざまにそう言い残してフラッペは王子の部屋を辞した。そそくさと出て行ってしまった為ホワイティは拒否も反論も出来ぬ儘、言い包めら れる形となってしまった。勢いを付けて閉じられた扉の音だけがだだ広い部屋に虚しく響く。
「……全く、あの人は。いっつも云いたい事だけ勝手に云って、勝手に消えてしまうんだからなー……」
 漏れた本音も小さく響き、天井とは云い難い程に遥か上、アーチの尖頭へと吸い込まれて行った。
 アーチから降りる、華奢な鎖で懸架された、煌やかなシャンデリア。幾重もの光に照らされる滑らかな天鵝絨の絨毯と、縫糸に至るまで高価な素材で作られた室内着。
(そしてそれを纏う私。何もかもが素晴らしく豪奢な中で、)
 血統が派手なだけの、この場には恐らく不相応な、私――。
 家臣一人にさえ敵わない己が、果たして一国の王になど成れるのだろうか。自分が次の王であるということは、勿論随分前から散々云われてきたことであった。初めは単 純に憧れの父と何れ同じ場所に立てるのだと、その誇りだけを感じていた。しかし周りが、民衆が、「王子様」から「次期国王様」へ見方を変えた頃からホワイティは、己 の、そして国の未来に憂いばかりを抱く様になってしまっていた。
 一代前の国王、詰まりホワイティの祖父に当たる人物は稀に見る傑物であったのだが、現国王もそれに決して劣ることのない人物である。確かに前国王の様な積極性や革 新的な発想力などといった天性の君主たる気質は劣るものの、無闇に国内へ波を立てることなく自国の文化を守り一切の問題を自国内で処理するという従来の体制を貫いた。 その結果が今日であり、こうして至って平穏無事な日々が紡がれている。
 静の父、動の祖父――己と血を共にする人間が過去に数え切れぬ程の活躍をし、そして今のこの国が在る。自分が何れ国王になる身なのだと知らされた頃から、それを想 起する度に胸が高鳴った。何時も自分に厳格でありつつも温和な眼差しを向けてくれる父は矢張り素晴らしい方なのだと、また一つ誇りに思った。同時に、一つ一つ父への、 そして己に流れる神聖な血への尊崇を重ねる度、愚鈍な己が、ちらちらと視界を彷徨い見え隠れして、また一つ、精神の荒庭に劣等感が静かに深く、根付いた。
 ホワイティは溜息を一つ吐き、その儘ベッドに身を投げた。柔らかくも弾力のあるマシュマロの如きマットレスが彼の身体を受け止め包み込む。その何とも心地好い感触 は直ぐ様彼を夢の世界へと誘ってくれる。どんなに眠気が訪れない時でもこのベッドに掛かれば知らぬ間に目蓋が下りて行ってしまうのだが、今はそうも行かないらしい。 物憂さが王子の心を蝕み意識を明瞭にする。眼界は暗転を迎えぬ儘、何時までも天蓋を映していた。
 側近に罵倒されながらも、彼は彼なりの考えを持ち、己の、そしてこの国の未来を想っている。特に具体的な所懐が在る訳ではない。だが彼は、非常に実直で情の細やか な人間である。フラッペからは、今は散々罵られ虚仮にされているが、彼が王位を継承した暁にはその持ち前の穏やかな性格に依って案外上手く遣って行くのかも知れない。
 国の未来と次期国王という、どちらも何れ、目の前に訪れるものの重圧――。
 ホワイティの口から、無意識に、深く長い溜息が漏れた。